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伝統なんて知らない。

伝統って何だ。

先日伝統芸能のイベントに行く機会があって、そのバックの演奏に伝統楽器と、ドラムやカホンのバックバンドが出ていて、強烈な違和感を覚えた。
伝統芸能を守り抜いてますと言わんばかりの団体で起きた事だ。

今日、いわゆる伝統芸能がいろんなモノとコラボレーションする事は当たり前の様に行われている。
和楽器が海外のジャンルを取り入れたり、その楽器を駆使してみたり、あるいは海外の人とコラボしたり。

でもその事に対して非常に僕は疑問がある。

なんで伝統を大事にするのならば外に出て行く必要があるのか。その思想や技を守って行く意思があるのならそんな事をする必要は無い。
もっともっと自分とその芸能を磨き上げて、角を取って寸分違わぬ円にすべきではないのかと。
伝統芸能なんてモノはじいさんばあさんになってようやく本質に入ってくる。今まで個人を押し殺して、そのジャンルに捧げ、そこからようやく少しだけ滲み出る個性がその人の美しさ、そしてその芸能の先端になっていくのではないか。そしてその人間が死んだ時に、その塵が積み重なって、その土の上に新芽が生えてくる。もちろん時代の移り変わりから廃れて行くのを食い止めたいってのはわかるけども、もっと自分が大きな流れにいて、過去何十年何百年の中で塵の様に小さく、しかし大切な一部であるって気持ちでいないとダメなんじゃないか。

つらつらと書いたが、僕は別に伝統芸能が嫌いな訳じゃない。だけど本当に死ぬほど大ッ嫌いなのは、他ジャンルの物を積極的に取り入れてそれでいて『私は伝統芸能をやっております』とふんぞり返っている奴らだ。
もうあんたがやってる事ってそれは伝統じゃないんじゃない?って思う。

で、そういう人に限って、更に新しいことが出て来た時、それを排除しようとする。『自分達の守っている伝統が穢された、あいつは邪道だ』っつって。でも自分より先の人がそれを世界とかで認められて帰って来た時にコロッと手の平を返す。『それもありだよね。』自分より上の人があれはいいねと言った時に鵜呑みにしてしまう。『それもありだよね。』って。

なんと脆弱な事か。

本当に伝統をやっている自覚があるのなら守り抜けよ。

だから見向きもされなくなるんだよ、オーラだってなくなるし。そういう風な流れを辿っている伝統芸能のなんと多い事か。そのジャンルが本当に素晴らしくて、誇りに思えるのなら、時代に流されずに棹を差して、しがみつけばいいのに。一時の嵐に流されなくていいのに。その場所にいれば、嵐が過ぎ去って晴れ間がのぞいた時にまた積み上げて行けるのに。もう晴れた時には全然違う場所にいるぞ。


っていう文句がすっごいあるので、別に僕は伝統芸能の和太鼓を打つつもりはないし、名乗らない。別に日本の伝統に貢献するつもりはない(好きだけど)。和太鼓って楽器が好きで、あと音楽が好きだから、そして自分の中でしっくりきたから和太鼓を『使っている』だけであって、もっとしっくりくる物があれば全然他の物でもいい(まあないだろうけど)。
もっと、伝統とか肩肘張らずに楽しめばいいのにな。いや、楽しんでる人もいるだろうけど、表現としてはあんまりいない気がする。和太鼓だったらさっきの伝統を背負ってる感だったり、あと論外だけどわけのわかんないエクササイズとかダイエットとかでばばあに使われてたり。

もっとみんなが過去から、文脈から離れてその楽器の音とかで新しい物を積み上げて行けばいいのに。そしたらもう自分の生き様でしかないんだから滲み出るでしょうよ。それは伝統だけじゃなくてロックとかジャズにも言えると思うな。

もちろんそのジャンルに救われたとか、若いから伝統守りたいけど、変な事もしたいってのは人としてすごく好きな部分なんだけど、もう少し考えた方がいいと思う。自分のやってる事は『属する』のか『属さないもの』になりたいのか。

僕は属するのは性に合わないので、新しい物を作って行きたい。自分が良ければそれでいい。お金にならなくてもいい。でも、バカにされてその後で見返してやりたいから、和太鼓にエフェクターかましてバカみたいに大金を稼いでみたいってのはある、でフォロワーが出来たら60年ぐらいの歴史の和太鼓の形式を昔からある様に偉そうに振る舞ってるバカどもに言ってやりたい。

『ざまーみろ!』っつって。


鼓次郎
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2014-02-20
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